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世界の"おもしろそう"を日本語に訳します



SEKAIWOYAKUSU

世界の"おもしろそう"を日本語に

ディズニーランド中毒の中年男性のお話

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私の名前はトッド、そして私はディズニーランド中毒だ。 今年の春、私はフロリダのオーランドにあるディズニーワールドに10日間を費やした。ちなみに、私はディズニーランドから1時間もしない場所に住んでいて、毎月数回は必ずディズニーランドを訪れている。

これまでにディズニーワールドに費やしたお金の総額を考えれば、おそらく私は世界のどんな所にでも旅行に行けただろう。実は、このように付き合いたいと思っていた意中の女性に指摘されたのだ。

私が10日間の休暇のすべてをディズニーランドで過ごしたことを伝えると、彼女は「なんでディズニーランドなの?」と困惑と不快感が入り交じったような表情で言われた。彼女自身は、休暇でスペインに2週間行くそうだ。要するに彼女が言わんとすることは、「もうすぐ30代後半にもなる独身男が世界を旅するのではなく、ディズニーランドに入り浸ることを選ぶわけ?」ということだろう。

良い質問だと思う。

ディズニーの遊園地のファンになることは変わったことではないだろう。ロサンゼルスにあるコンサルティング会社であるAecomによると、昨年にはディズニーランドだけでも1800万人弱の来場客を誇る。そして、ディズニーランドをはじめとする彼らのテーマ・パークは、アメリカのポップカルチャーを世界中に広め、その象徴として過去60年以上も確固たる地位を築いている。しかし、私の毎月、数回ディズニーランドを訪れるという習慣は変わっているとみられるのだ。

こういった反応を意中の女性から受けても私の休暇プランはディズニーから変わらないわけだが、彼女の「なんでディズニーランドなの?」という半ば気持ち悪いものをみるかのような表情で投げかけられた質問に対して明確な答えを出す必要があると気づいた。

意中の女性とは色々あってダメになり、私はフロリダに戻ってきてマーティ・スクラーに電話をかけた。なぜ、ディズニーのテーマ・パークが愛して止まないのかをはっきりと理解するのであれば、ウォルト・ディズニー・イマジニアリングの元社長であり、ウォルトのスピーチ原稿を書いていた彼に質問してみるのが良いと思ったのだ。私は、スクラーに「なぜ私は、スペインではなくディズニー・ワールドを旅行先として選んだのだろう?」ときいてみた。

彼は「回答するのが難しい質問だね」と答えた。

私が想定していたよりもこの質問に対する答えを探すのは難しいようだ。

よくある苦情

ディズニーランドには、よくある苦情を繰り返し、ディズニーランドを中傷する人たちがいる。例えば、暑い、混雑し過ぎ、高すぎ、ベビーカー多すぎ、ベビーカーに文句を言う子どもに対して理解がないお客さんが多すぎ、もしくはパークの一部、特にMain Street U.S.Aなんて整理され過ぎててアメリカに存在したこともないビジョンを表している、といったものだ。

南カリフォルニア大学で心理学の教授を務めるアービング・ビーダマンは、いくつかのディズニーのテーマパークに足を運んだことがある。彼のディズニー・パーク対する不平は、私も友達からよく聞く「かなり嘘っぽい」というものだった。ビーダマンは幼少時代にパークにある潜水艦をテーマにしたアトラクションに乗ったことがあり、それにでてくる機械じかけの魚に興ざめしたとのことだ。

彼は、「ディズニーのテーマパークで嫌いなことの1つとして、すべてがサプライズが起こらないよう、もしくは禁止するようにデザインされていることだ。魚は、本物の生きている魚ではなかった。私は本物の生きている魚の方が好きだった。なぜなら、本物の魚の方が普段起こらないこと(サプライズ)が起こる可能性があるからだ。しかし、それが機械じかけの偽物の魚であれば、サプライズなんて起こるわけがない。一度、ディズニーランドを体感すれば、その欠点の一つがサプライズがないということに気付くだろう」と語っている。

私は彼のコメントにディズニー・ワールドのアニマル・キングダム(ディズニー・ワールドのテーマパークの1つである動物園)の大らかさををもって反論させてもらおう。彼は、サプライズがないことを「ディズニー・ワールドの欠点の1つ」と言っていたが、これ以外の欠点があることを分かっていても数百万人の人びとがディズニーランドに来園しているというのが現実だ。

ビーダマンは、「人間は情報に貪欲な生き物だ」と主張している。私たち人間は、脳に陶酔作用、いわゆる喜びを与えるきっかけとなる新しい情報と経験を常に探して回っている。彼は”2つの窓”という例を用いて説明している。1つ目の窓からはレンガ造りの壁を見ることができ、2つ目の窓からは海辺のような美しい景色をみることができる。

彼は「それでは、あなたはどちらの窓から外を見るだろうか?」と尋ねるわけだが、これは愚かな質問だ。もし、1つ目の窓を選んでレンガ造りの壁をじっと見つめることを選んだとしたら、それは病的な兆候を示していると考えるだろう。

ディズニーランドは、細部まで作り込まれたおとぎ話に出てくるようなお城、西部劇さながらの映画セットといったその豪華で創造性が豊かな建築物で私たちの脳の注意をひく。

ビーダマンは、「それではなぜ私たちはテーマ・パークに行くのだろうか?そのテーマ・パークに訪れたことがないのであれば、それは新しい経験を与えてくれる。もしくは、そこに1,2回しか訪れたことがないのであれば、それは来場客の日常とは違うものだろうから新鮮に映るかしれない。違う側面からみれば、ジェットコースターがもたらすスリルは私たちを興奮させる」と解説している。

それでは短期間のうちに繰り返しテーマ・パークに訪れる人はどうだろうか?

これは、ビーダマンの思考を一時停止されるだろう。彼は、「20回も同じ映画を観たいと思うか?」と聞いた上で、「君がディズニーランドを繰り返し訪れ、ディズニーのテーマパークとの関わりを多く持つことは、その体験が安全で予想できるものとなり、つまらないものとならないだろうか?」

慈悲深くもビーダマンが私は正常であると断言してくれた際には、私は不安を抱き始めたことは言うまでもないだろう。彼は、「君のディズニーワールドとの関わりが、君の現実を歪めていないと考えていることこそが潜在的な問題だろう。もし、君の情熱が向かう先がディズニーではなく音楽、絵描き、料理、チェスなどだったら人びとは変な目でみないだろう」という内容のメールを送ってきた。

念のために伝えておきたいのだが、私は重度の音楽中毒であり、最近では料理も学び始めている。ディズニーへの深い愛情は終わりなき青春のようなものであることは、ビーダマンと私の会話からも分かるとおりだ。 しばしば、私はディズニーランドに行っても乗り物に乗らないことがある。その代わりに私は、人間観察とその場の雰囲気に浸るわけだ。ときには、グランド・カリフォルニアンのロビーでパソコンを広げて仕事をすることもあるし、頭をスッキリさせるためにパークを訪れることもあるのだ。最近では、ディズニーワールドにあるパークには、その歴史と新しいエリアや乗り物のレポートを行なう、もはや学術的な目的で訪れる回数も増えている。

オランドにいる間は、新しくオープンした映画アバターのアトラクションに関して勉強していた。アバターのアトラクションの開発責任者を務めたディズニーのベテランのデザイナーであるジョー・ロードは、インタビューの中でディズニーのテーマーマークで起きることに偶然はないと語っていた。

「もし、ステージ上にある細かやか演出の1つ1つには、その演出が存在する理由がある。それらの存在意義は、ディズニーという大きな物語を完成させるために存在するのだ」とも話している。

恐らく、小さな演出はディズニーのテーマパークに訪れることをある種のゲームに変化させているのだと思う。例えば、ディズニーランドの新しいテーマランドであるニューオリンズ・スクエアは、板で囲われたトンネルのようなものだが、多くのファンはパイレーツ・カリビアンとホーンテッド・マンションの物語を繋ぐ地下室のようにデザインされていると信じている。

こういったありそうもない些細なことが、テーマパークをより興奮できる経験にしているのだ。私たちファンは、ただの観客ではなく、ゲームのプレイヤーのようにディズニー・ワールドというデザイナーの巨匠たちによって完璧にデザインされた世界を、自分たちで作り上げた物語を織り交ぜながら探検しているのだ。

ビーダマンは、「君はアニメーションのキャラクターに夢中になっているわけではないのだろう。私が考えるに、君のディズニーワールドに対するモチベーションは、ある種の知的なものなのだと思う。君はディズニーワールドのデザインの華麗さを理解し、それに対して大きな興味があるのだ」と、私を少しだけホッとさせてくれるコメントをくれた。

そう、彼の言うとおりなのである。私は、そのデザイン性や創造性に興味があるのである。そう思うと気が楽になる。

荷解きすべき多くのこと

ディズニーワールドのテーマパークは、感情面で楽しめることもある。それは往々にしてノスタルジーだ。多くの人びとは、家族との絆を確かめたり、強くしたりするためにディズニーワールドに訪れることは多く知られていることだ。各テーマパークには家族写真を取るためのシャッター・チャンスが多くある。私には、子どもどころか彼女もいないわけだからこの主張は私には適用されない。

スクラーは、ファンタジアやピーターパンなどのディズニー作品を担当したアーティストであるジョン・ヘンチが唱えている理論を紹介してくれた。

スクラーはジョン・ヘンチがディズニーランドを次のように解説していたと話してくれた。

「ディズニーランドは人びとを安心させる場所だ。ディズニーランドであれば、見ず知らずの他人に話しかけることもできるし、リスペクトされるから安全を感じることもできる。すべては清潔に保たれてもいる。こういった利点は、”なぜ自分たちが住んでいるコミュニティーはディズニーランドのようにフレンドリーではないのだろう?”だとか、”なぜ私たちは他人をディズニーランドにいたときのようにリスペクトできないのだろう?”、もしくは”なぜ自分たちの街をディズニーランドのように綺麗に保てないのだろう?”といった疑問をもち、実際に住んでいるコミュニティーの改善にも役立てることができる。なぜならディズニーランドで起こっていることは、ディズニーランドの外でも起こり得ることだからだ」

私の絶望的なロマンチシズムにかすかな光を与えてくれる理想論だ。もしかしたら、これが私が求めていた答えなのかもしれない。わたしは、臨床心理学者でマニアについて徹底的に研究したアンドレア・レタメンディにコメントを求めた。

「それは一つの明確な答えではなく、本当の答えはより複雑だと思う。荷解きしなきゃいけないことはたくさんある」

彼女は、私がディズニーランドで仕事をしている間の作業能率を指摘した。念のために伝えておくが、私はディズニーランドを現実から逃避するためだけの目的のために訪れているわけではない。彼女は、私がディズニーランドから享受する楽しみと、コスプレイヤーたちの楽しみを比べると多くの要素が性格に強い影響を受けていると推測している。私の場合は、私の楽観的な性格がディズニーランドに関与する動機に大きな影響を与えているようだ。

彼女は、「あなたはコスチュームを着ることはないだろうけど、ディズニーランドはあなたのアイデンティティーに触れ合う感覚を抱いているのは明白でしょう。恐らく、他者からみればディズニーランドに熱中することは変なことかもしれないけど、それがあなたなわけです。しかし、あなたは他者から変だと思われる趣味を落ち着いて分析できているし、良質なブランケットとクッションで包み込めてもいます。こういった経験をしているのは、あなただけではなく、多くの人びとが同様の経験をしています。しかし、こういった経験に関わりをもつことが難しいことが難しいことも理解できます」

しかし、彼女は私が年齢を重ねるにつれディズニーランドに熱中することが困難になるのではないかと思っている。

「もし、あなたがパーク内をブラブラしている50歳代の男性を見かけたら、それを不快に感じるのではないでしょうか。心理学者として、私はこれを不快に感じることになんら違和感を覚えません。しかし、社会はこういった事態を懸念するでしょう」 ディズニーランドは公園の遊び場でなく、妖精の粉をリアルに演出できるような多くのテクノロジーが用いられた近代的な発明品なのであり、来園者が各々のストーリーを作り上げるための役割も担っていることを私たちは理解し始めている。

この大規模でどっぷりと実体験のように熱中できる世界は、私たちを銀幕の世界への参加者として誘う。アバターに出て来るパンドラ世界を体験できる”フライト・オブ・パッセージ”では、大自然をドラゴンに乗って飛び回る疑似体験を経験できる。そこれでは、単純にドラゴンに乗って飛び回るスリルを楽しむこともできる。もしくは、アトラクションを体験している間に流れるナレーションを聞くことを楽しみ、生態系がどのように昨日しているのかについて理解を深めることもできる。これは、もはや現実的なゲームの中を歩いているようなものなのだ。

結局、「なんでディズニーワールドになんかはまってるの?」っていう質問に対して、はまってる人は「なんでダメなの?」って聞き返すようなシンプルなことだったのかもしれない。私の個人的な理論は、ディズニーワールドを楽しむ人がいると同時に、それを認めない人もいるというものだ。ディズニーに対して懐疑的だったビーダマンさえ、パイレーツ・オブ・カリビアンのアトラクションに初めて乗った際には、心を奪われたそうだ。

彼はパイレーツ・オブ・カリビアンという言葉を繰り返しながら、アトラクションを絶賛していた。彼はあの古びた匂いが大好きなようだ。その匂いは彼に大冒険を感じさせるのだそうだ。

 

元記事:This is your brain on Disneyland: A Disney addict's quest to discover why he loves the parks so much