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世界の"おもしろそう"を日本語に訳します



SEKAIWOYAKUSU

世界の"おもしろそう"を日本語に

Pokemon GOは後期資本主義が犯した過ちの象徴

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先週、アメリカ社会と世界経済に長期にわたり影響を及ぼすであろう2つのことが起こった。1つ目は、アメリカの10年国債の利回りが過去最低の1.366%に下落したことだ。2つ目は、任天堂がリリースしたスマホでプレイすることができるゲームアプリ、Pokemon Goのことだが、これはすでにアメリカで大流行しており、一種の社会現象になっている。

これら2つの出来事は一見すると無関係のようだが、実は緊密に関係していることなのだ。もちろん、「アメリカのマクロ経済のトレンドは、Pokemon Goに起因する」というような破茶目茶なことは言わない。しかし、Pokemon Goのようなテクノロジーを基盤とした商品は、世界経済の現状を説明するにはもってこいだ。

Pokemon Goは20世紀の娯楽とは違う

ニューヨークに住んでいる人々は、Pokemon Goによって形成される新たな経済圏によってもたらされる恩恵を享受することができるが、他の多くのアメリカ人はこの恩恵を受けることができない。

50年前に何か楽しいことをしようと娯楽を探すと、友人とボーリング場に遊びに行くというのは1つの選択肢として存在した。他にも、近くにあるレストランに友人とご飯を食べに行ったり、映画を観に出かけたりするという選択肢がある。

ボーリングする、レストランでご飯を食べる、映画を観るためには、大なり小なり必ずお金を支払わなくてはならない。支払われたお金は地域経済に流れる。これは、大人たちがあなたの街で小さな事業を始め、経営していくきっかけとなるわけだ。同時に、大人たちが事業を始めれば、10代の子どもたちにとっても夏休みにお小遣いを稼ぐための雇用先が創出される。レストランであればウェイターやウェイトレスとして、映画館であればチケット係のバイトとして働ける。こういった、いわゆるWin-Winの関係性が昔は存在した。

もちろん、Pokemon Goでも課金というシステムがあるからお金を使うことはできる。しかし、このゲームが形成する経済は、現実世界の地元で回っているような経済とは全く違う。例えば、Pokemon Goでアイテムを買うために課金したとしよう。Pokemon Goに支払ったお金は、Pokemon関連の事業を行っている地域に根差した企業の収入となるわけではない。支払ったお金は、Pokemon Goを開発したカリフォルニアや日本に拠点を置く巨大な世界的企業の収入となるのだ。

巨大な世界的企業が収益を上げることが悪いと言っているわけではない。実際に良い点もある。Pokémon Goは、ボーリング場に遊びに行ったり、映画を観に行くよりも手頃な料金で楽しめる娯楽だ。実際、必要でなければ一切の課金をしなくとも、楽しむことができる。インターネットというプラットフォームの普及により爆発的に増加した娯楽の選択肢は、社会に新しい価値をもたらした。今日のアメリカに住んでいる平均的な10代の子どもたちであれば、インターネットを介してゲームをプレイする、映画を観る、音楽を聞く、チャットで友人と話す、といったように選択できるインターネット上にある娯楽の種類は無数にある。

Pokemon Goが形成する経済は地域格差を助長する

前述のようにPokemon Goには良い点もある。しかし、悪い点もあるは事実だ。1つは”地域格差”という問題点だ。任天堂と彼らのパートナー企業は、Pokemon Goから1日あたり100万ドルの収益を得ていると噂されている。このお金は小・中規模の街から吸い上げられ、大都市に住むゲーム利用者に対するサービス向上に注力する大企業に流れ込むのだ。

また、Pokemon Goだけが”地域格差”を助長しているわけではないことも同時に明白である。Amazonも同じようなことを小売業界で行っている。地元の小売店から商機を奪い、シアトルにある本社が収益を吸い上げている。Google、Facebook、Vox Mediaが吸い上げている広告費も昔であれば、ローカルの新聞社やテレビ局の貴重な収入源だった。

もちろん、アメリカには常に地理的に集中した産業があり、それが一種のクラスターを形成していた。例えば、デトロイトには自動車産業、ハリウッドには映画産業があり、このようなクラスターは、アメリカ全土で商品を販売していた。こういった20世紀型の産業とPokemon Goが形成する経済の大きな違いは、20世紀型の産業は商品が買われているコミュニティーに雇用やビジネスの機会を作る傾向にある点だ。映画自体はハリウッドで作られているかもしれないが、彼らの収益源であり、作った映画を上映する場である映画館は、アメリカ全土の各町に住む人々によって設立され、運営されなければなならない。また、自動車産業も同じだ。車両自体はデトロイトで作られているかもしれないが、ディーラーショップや自動車修理店は地元に住んでいる人々によって設立され、運営されている。これは20世紀型の産業が雇用とビジネスの機会をアメリカ全土の地域に提供していることに他ならない。

その反面、インターネットを使ったビジネスは、どのようなマーケットでも雇用を生み出すことはほとんどない。スマートフォンというプラットフォームは、アプリを開発するための雇用は生み出すが、アプリ開発企業の従業員はある特定の地域に住む必要はないのだ。実際のところ、彼の居住先は他のテクノロジー関連の職業と同様に、大都市に集中する傾向がある。

結果、インターネット経済は、だんだんとアメリカを2つの平行な経済へと導いているのだ。例えば、Pokemon Goで小中規模の街からお金を吸い上げ、経済的な恩恵をうけられる大都市では、深刻は住宅不足が起こり、家賃は急騰する。大都市以外のエリアのある街は、景気回復を実感することさえない。これが2つの平行する経済の正体だ。

Pokemon Goが形成する経済は、金利の低下と経済の低成長を意味する

20世紀に生まれた新しい産業は、資金融資に対して多くの需要を生む傾向があった。自動車産業であれば生産ラインを作るのに、映画産業であればスタジオを作るのに多額の資金を必要とした。しかし、その裏には何千人もの人々が地元の地方銀行に行き、映画館やディーラショップなどを設立するための融資を受けていたわけだ。

これは資金を持っている人々にとってみれば、新しい事業を始めるために喉から手が出るほど融資を獲得したい起業家たちをいつでも見つけることができたわけだ。その結果、当時は連邦準備制度が雇用を生み出すことは比較的簡単だった。連邦準備制度が経済成長を加速させたければ、金利を下げ、起業家たちが新規事業を始めやすい環境を整えてやればよかったのだ。

しかし、Pokemo Goが形成する経済では、これが通用しない。任天堂と彼らのパートナーたちは、ゲーム開発のためにプログラマーやデザイナーを雇用する必要がある。よって、彼らもプログラマーやデザイナーを雇うため、ある程度の投資が必要だった。しかし、必要だった投資額は車の製造ラインを作るためのコストに比べれば小さいものだ。そして、Pokemo Goが補填が必要なローカルビジネスにたくさんの商機を提供するようにはみえない。Pokemo Goの利用者たちは、スマートフォンでゲームをプレイするためインターネットカフェを必要としないし、スマートフォンはスマートフォンの修理店が十分な利益を出せるほど高価なものではなくなってきている。

そして、Pokemon Goは従来の資本蓄積と経済成長の関係性を保ちつつ成長するだろう。2008年から、アメリカの経済は安い資本をもった貸手で溢れかえっている。そういった状況にない数少ない場所もある。よい例は、シリコンバレーだ。シリコンバレーでは、バブルに似たような状況となっており、貸手は血眼になって借手を探している。そのため、狂気じみたアイデアをもったベンチャー起業にも資金を融資している。

しかし、シリコンバレーを筆頭にインターネットやテクノロジー産業が盛んなエリアに投じられた資金は、貸手側が融資したいと思っている資金のほんの一部だ。要するに借手が圧倒的に不足しているのだ。そして、こういったエリア以外の地域では、投資先として魅力的なアイデアを持っている企業を探すのに苦労している。よって、貯蓄を投資に回して高いリターンを得ようとしていた人は、良い投資先がないことに悲観し、貯蓄を銀行の預金へ回すようになる。そうすると、銀行の金利は下がり続けるだけという悪循環が生まれる。

最終的には、融資に対する需要が全体的に減っている経済状況が続けば、全員が損をすることになる。大都市以外の小さな街の低い経済成長や不況は、そこに住む消費者が持つ資金が減っていくことを意味しており。結果的に、そういったエリアに住む消費者はPokemon Goのような娯楽に使えるお金さえもなくなってしまうかもしれないわけだ。

Pokemon Goが形成する経済をみんなが恩恵を受けられる経済にする方法

Pokemon Goの成功は、政策立案者が自身のアプローチを変えるべき2つの分野を提示している。

1つ目は、住宅政策だ。住宅政策を緩和することで、高度なテクノロジー商品が生産されているエリアにより多くの人が移り住めるようになる。カンザス・シティとバルチモアの平均的な住民は、次に大ヒットするスマホゲームを開発する技術はないかもしれない。しかし、彼らはニューヨークやサンフランシスコで学校の先生、看護士、建設作業員としての仕事を見つけることができるかもしれない。しかし、彼らがこういったテクノロジーに関係しない職業を手にするには、通勤圏内にあるテクノロジー関連の仕事をしている人々が住むエリアに移住する必要がある。

2つ目は、需要の管理について真剣に考えることだ。 中央銀行が需要を高めるためにできることは、もっとあるのかもしれない。もし、新しい試みが失敗に終わったら、そのときは経済成長が著しいエリアに住む富裕層に高い税率を課すことで、より直接的な富の再分配を行うという方法もある。そうすることによって、地域の公共サービスや賃金への補助金が拡充されるだろう。もっと言えば、経済成長が低エリアに住む人々には現金を与えても良いぐらいだ。

 

元記事:Pokémon Go is everything that is wrong with late capitalism

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