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sekaiwoyakusu’s blog

世界の"おもしろそう"を日本語に訳します



SEKAIWOYAKUSU

世界の"おもしろそう"を日本語に

Pokemon Goは資本主義の最良な部分の象徴

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先日、ティモシー・リー氏が執筆した「Pokemon GOは後期資本主義が犯した過ちの象徴」という記事が掲載された。同氏の記事は、Pokemon GOが作り出す経済に対するかなりキツ目の批判だったため、ちょっとした騒ぎになっている。Pokemon GOというゲーム自体が非常に有名なため、この記事を読んだ方も多いだろう。私たちはこの批判的な記事を読んだプレイヤーたちが、「ただの愉快な娯楽であったPokemon GOを楽しむことが、どうやら国や地域経済を破壊しているようだ…」と心配になっているのではないかと懸念している。

そこで私たちは、この記事でPokemon GOに関する違った視点をご紹介したいと思う。

私たちは、Pokemon GOは資本主義がもつ最良の部分の象徴であると考えている。Pokemon GOは、1週間もかからずにダウンロード数は1,500万回を超え、2,100万人のアクティブユーザーが利用しており、大ヒットしている。利用者は平均で毎日33分はPokemon GOをプレイしている。これをアクティブユーザーを加えて計算してみると、世界中で1日1,150万分もプレイされていることになり、プレイ時間は上昇する一方だ。このアプリはダウンロードもプレイするのも無料だ。課金してアイテムを購入することもオプションとしてあるが、基本的に無料でプレイすることができる。ということは、任天堂と開発会社であるNianticは、本質的に数百万ドルもの価値があるアプリを利用者に無料で提供しているわけだ。

これから思い切ったことを言おうと思う。それは、「人間がもつ時間は有限であり、有益なものだ」という純然たる事実だ。Pokemon GOに費やしているプレイヤーたちの1秒、1秒は、Pokemon GOではなく違うことするためにも費やすことができた時間だ。プレイヤーたちは自発的に自分の時間をPokemon GOというゲームをプレイすることで費やすことを選択している。これは、利用者がゲームをすることで失うコストよりも、ゲームをすることで得る利益や恩恵のほうが大きい感じていることを意味している。この現象をエコノミストたちは、Consumer Surplus(消費者余剰)と呼んでいる。消費者余剰とは、簡潔に説明すれば、商品やサービスに対して消費者が支払っても良いと考える金額と、その商品やサービスの実際の価格の差のことを意味する。例として、あなたがボーリングのゲームを5ドルで買おう思っているけど、実際はボーリングのゲームは7ドルで販売されていたので、ボーリングのゲームを諦め、無料か3ドルでPokemon GOで1時間遊んだとしましょう。あなたは、3ドルを失ったかもしれませんが、3ドルの対価として楽しめたPokemon GOは、あなたの人生をより良いものにするかもしれません。

もし、一時間あたりの消費者余剰が1ドルにしか満たなかったとしても、Pokemon GOは1日あたり1,150万ドルの価値を生んでおり、利用者はこれを無料でプレイすることができている。利用者は特別なアイテムを購入するための課金を積極的に始めており、現在では1日あたり総額160万ドルが課金されている。これは、利用者が、Pokemon GOというゲームから得られる価値が実際よりも高いと考えていることを暗示している。

ティモシー・リー氏の自身の記事で、Pokemon GOが映画館やボーリング場のように高額な設備投資や多くの雇用を必要としない娯楽であるため、地域経済に悪影響を及ぼしていると嘆いている。同氏の記事が見逃している点は、伝統的な娯楽に関連していた経済活動は、娯楽商品の提供にかかるコストを示しているということだ。現実では、娯楽が形成する経済は、彼が主張する環境よりも良い環境にある。なぜなら、消費者は娯楽が与える価値を得るだけでなく、自身が持っているお金を他の娯楽に使うこともできるようになったのだ。Pokemo GOは、有料アプリであっても納得するだけの高品質な娯楽であるが無料で提供されている。そのため、Pokemon GOに費やされるはずだったお金が他の商品やサービスに使えることになる。高品質な娯楽が無料で手に入るような世の中なのだから、私たちの暮らしや経済は一般的にいえば良くなっていると言える。

経済成長の中核にあるのは、私たちの生活を制限する原因となっている商品やサービスの不足を減らすことだ。ようするに需給ギャップを埋めるということだ。ティモシー・リー氏の記事は、あたかも経済成長はお金を消費することによって引き起こされることのように書いてある。こういった考え方は、人々を誤った方向に導くことになる。なぜなら、この考え方は起業家の重要性を無視しているからだ。起業家は、新しい商品やサービスを開発し、雇用を生み、利用者の生活をより良いものにするという点から、彼らの経済における役割は非常に重要である。

Pokemon GOは、起業家の役割の重要性を示す良い例だ。ゲーム開発会社に出資している投資家は、もしかしたら出資先であるゲーム開発会社がヒットするゲームを作るかもしれないと考え投資をする。このとき、投資家はそのゲームが全くヒットしないかもしれないというリスクを背負ってでも、ヒットする可能性にかけて投資する。これは経済的に良い意味でのギャンブルであることは明白だ。Pokemon GOの場合は、出資者たちの想像を上回る大ヒットをとばしているから、彼ら自身も驚いているだろう。ゲーム開発に出資するファンドがゲームではなく、ボーリング場建設に出資し、何本かのボーリング・レーンを作ったと想像して欲しい。ワォ、ナンテオモシロインダ。(棒読み)

もし、起業家が資金調達ができず、当たるか外れるか分からない商機に自分の命運を賭ける自由さえもなくなった社会を想像して欲しい。これによって社会は多くのを失うのではないだろうか?Pokemon GOのような新しいアディアに基づいたゲームが開発されヒットしなければ、Pokemon GOのプレイヤーに飲み物を売ったり、ポケモンを捕まえるためにの移動手段を提供することで利益を得ることができる人々は経済活動の機会を失う。経済を成長させたり、私たちの社会をより良いものにする要因は、常にPokemon GOのような許可を必要としない、パーミッションレスなイノベーションなのだ。

長々と話してきたが、要するにPokemon GOは、資本主義の最良な部分を象徴しているのだ。なぜなら、Pokemon GOは”自発的な交換”という発想に基いて開発され、利用者に提供されているからだ。利用者は、Pokemon GOをスマートフォンにダウンロードすることを強要されていないし、プレイすることをやめたければ、すぐにやめることができる。Pokemon GOをより楽しむために有料アイテムを購入したいと思うのであれば、課金すれば良いし、必要ないと思えばしばければいい。もっと言えば、Pokemon GOを開発するというリスクを負うガッツと、これを開発することによって社会がより良いものになるという先見の明をもっていた起業家は、偉業を成し遂げたのだから報われるべきである。もっとも重要なことは、彼らの成功は、Pokemon GOを利用者がプレイするプロセスを通じて、人々の生活がより良いものになるというポジティブな事象の帰結として起こっているということなのだ。

もっとも、ロケット団はこういった考え方を学習することはないだろうが…。

 

元記事:Pokémon Go Represents the Best of Capitalism

この記事を訳しながら聞いていた曲